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Avant la nuit sainte

 

 

 

†       †       †

 

 空気の澄んだ夜だ。頬を撫でる風は冷たく、体温を奪っていく。今は降っていないけれど明日には雪が降るだろう、なんて、そんな事を考えながら悪魔はとある建物の一室のテラスへと、音も無く舞い降りた。その青髪を照らす月光を背に受けながら、薄いカーテンの引かれた室内をそっと覗き込む。

 ガラスの向こう側は薄暗かった。まだ、就寝の時間には早いはずなんだけど、と独り言ちる。とはいえ、アポイントなど取っていないので相手が早く寝ていてもおかしいことではないのだが。

 

 そもそも、ここは天使の通う学園。その学生寮である。悪魔である自分が歓迎される場所ではない。それなのに何故こんな場所に来ているかというと……有り体に言えば、暇潰しだった。

 聖夜を明日に控えた今日は、魔の者にとっては気乗りしない者が多いらしく、ナンパの結果が芳しいとは言えなかった。かといってスタジオで練習するのも、このあちらこちらでベルやら賛美歌やらの音が響く中、イマイチやる気が出ない。我らがリーダーであれば、寧ろやる気を出すところなのだろうけど。

 ともあれ、そんなわけで、敢えて天使の元に来たというわけだ。

 天使の中でも人一倍生真面目で”天使”とあるということに執着しているとも言える天使。今頃、柄にもなく来たる聖夜を心待ちにしているところだろう。そんな時に自分が訪ねてきたならば。その晴れやかな気分に水を差すことが出来るだろう。きっと、あの凜々しく整った眉をいっぱいに顰めた、憎々しげな目が向けられることだろう。

 暇潰しと言うよりは寧ろ嫌がらせに近いが、こちらとすれば愉快である事は間違いない。そんなワクワクとした気持ちでやってきたというのに、これでは何だか肩すかしを食らったような気分だ。

 ――――と、あまりにも理不尽な恨み節でも吐こうとしたところで。

 

「……あれ?」

 

 よくよく目を凝らしてみると、室内にぼんやりとした灯りがともっているのに気が付いた。カーテン越しだから自信は無いが、起きているならば、やることは決まっている。

 口元に、如何にも悪魔的な笑みを浮かべながら、青髪の悪魔は音も無く部屋の中へと身を滑り込ませていった。

 

 

†       †       †

 

 思った通り、部屋の主は起きていた。天井のライトを落とした室内では、机の上に灯されたキャンドルの火だけが柔らかな光を放っていた。その明かりの下で、天使は本を読んでいるようだった。訪ねた際に こうして読書をしているのは、よくある光景だ。だが、いつもなら自分が足を踏み入れた瞬間に気付くはずなのに、今日は珍しく無反応だ。よほど集中しているのだろうか。せっかくだからと観察していると、一言一句を目に焼き付けようとでもしているのかと思ってしまう程の様子で本に目を通しているようだ。目線を外すのは、傍らに置いてある2本指で持ち上げられる程度のガラスの器に注がれた液体を口に運ぶ時だけ。薄暗さと蝋燭の灯りで分かりづらいが、色はワインレッド…だろうか。

 

「もしかしてオレ、天使サマがイケナイ事しちゃってるところ見ちゃったのかな~?」

 

 おもむろに近付きながら声をかける。

 

「…………」

 漸く、紫水晶の瞳がこちらを向いた。

 

(…………あれ?)

 

 反応が薄い。まだ状況が飲み込めていないのだろうか。

 

「……こんばんは、アビス君?」

「ああ、こんばんは」

(……んん…………??)

 

 思わずぱちぱちとまばたきをしてしまった。おかしい。いつもなら、こんな状況になったら目の前の天使は、その涼やかな切れ長の目を見開いて、それから、こちらを睨み付けてくるはずだ。その後、声を荒げて自分がここに来たことを咎めるはず……

 

「……今日も…元気そう?…だね…?」

「そうだな、これと言って体調が悪いということもない」

「…………」

 

 それなのに、一体どういうことだ。

 こんなのは…こんなのは、至って”普通の反応”じゃないか。

 

「え…っと……、オレが誰だか分かってる…よね? ストルナムなんだけど…?」

「知っているが」

 

 ……ますますワケが分からない。どう甘く見積もっても、自分たちの関係は決して良好と言えるものではなかったはずだ。寧ろ、最悪と言っても良い。だからこそ自分は”遊びに来た”のだから。なのに、なんだ、この違和感は。

 

「っていうか…それ、ワイン…だよね?」

「ああ」

 

 何とか”いつもの調子”を取り戻させたくて、机上の液体について指摘してみるが、やはり事も無げに返されてしまう。

 

「天使がお酒なんて飲んで良いわけ? しかもキミ学生じゃなかった?」

「…別に好きで飲んでいるわけじゃない」

 

 そう言うと天使は器の横に置かれていたガラスの小瓶を摘まみ、顔ほどの高さまで持ち上げた。小瓶の蓋の部分は、小さな羽のような形に加工されている。

 

「それに、酒と言う程のものじゃない。これは”神の施し”だ」

「……なにそれ?」

「この学園では、この時期になるとこれが全生徒に配られる。そして聖夜に…基本的にはパーティが終わった後だが…これを飲み干し、神の御言葉を心に刻み直すのが習わしとなっているんだ」

 

 女性のもの程 細くはないが、男性のものにしてはしなやかな指が広げられたままの本のページを撫でる。なるほど、先ほどまで熱心に読んでいたのは、その”神の御言葉”なるものが綴られている、いわゆる聖書というやつだろうか。

 

「まぁ……悪魔-キミ-には縁の無い話だろうがな」

 

 確かに、天使の慣習などには微塵も興味は無い。だが、いつもだったら絶対にそんなことはしないのに、嫌いなはずの悪魔にぺらぺらと自分たちに関する話をしてくる今日の彼には興味があった。

 

「フゥン…… それで、本来明日飲むべきものをキミはどうして今飲んでるの?」

「…………」

「……? どうしても我慢出来なかったとか? やっぱり、ちょっとイケナイ事したい気分に――――」

「……気持ちよく…なってしまうからだ」

「うん?」

 

 どこか気まずそうに黙り込んでいたかと思うと、目を逸らしたまま天使はポツリと言った。心なしか顔が紅く見えるのは、キャンドルの灯りの所為だろうか。

 

「……これには、神の御力が込められている。個人差はあるが、その力にあてられて気分が高揚したり開放的になる者がしばしば居るんだ。ボクとて例外じゃない。仮にも風紀委員が我を忘れて風紀を取り締まることが出来なくなったら困るからな、こうして先に済ませているというわけだ」

「なるほどね…… ということはつまり、キミもあてられやすいんだ?」

「……ああ…ボクは…他の者よりも少し光への耐性が弱いからな……」

「ところでそれって、酔っ払ってるのとは違うわけ?」

「違う…と、思う」

「フゥン……」

 

 正直イマイチ腑に落ちないが、なんとなく今日の彼の態度が不気味な程に穏やかなのには納得がいった。どうも、本人に自覚はあまり無さそうだが、既に”あてられている”らしい。そうでなければ、この状況の説明が付かない。こんな、自分が彼と、あまりにも”普通”に会話している状況など。

 内心、悪魔は困っていた。今日はすっかり調子を狂わされてしまっている。シラフじゃない相手をからかっても面白くない。かといって、このまま普通にお別れして帰るのもなんとなく癪だった。

 

 だから最後に一つだけ。覚えていようがいまいがどちらでもいい。

 キミの大好きな”神様の味”を少しだけ塗り替えてあげよう。

 

 残りの分を注ぎ足そうと、天使が持ち上げかけていた小瓶をさっと横から掠め取る。

 

「! キサマ――――」

 

 見せつけるように小瓶の縁に口を付け、傾ける。天使が息を呑む音が聞こえた。その顔を見て少し満足げに微笑んで見せた。瞬間、

 

「…………!?」

 

 思いがけず、身体がカッと熱くなった。小瓶を置くと同時に手の甲を口元に当てる。

 

「っ、なんてことを」

 

 目を見開いたまま慌てたように近付いてくる天使の手が伸ばされるより早く、華奢な腰を引き寄せ、もう片手で顔を捉える。

 

「―――っ!?」

 

 そして、その勢いのままに口付けた。唇を割開き、口内の液体を流し込むが、これも普段に比べてあっさりと受け入れられ、内心拍子抜けした。

 

「はっ……、辛……」

「…神の…っ、造られた飲み物なんだ、悪魔-キサマ-にとっては…当然だろう……っ」

 

 言いながら後退ろうとする天使の足がもつれる。

 

「あぶな…っ」

 

 思わず手首を掴むが、そのまま手だけ吊り上げられた状態で座り込んでしまう。膝をつき覗き込んでみると、顔を紅くした、心なしかうっすらと透明な膜が張っているように見える紫の瞳がきっとこちらを睨んだ。見慣れている表情なのに、何故か今日は少しだけどきりと心臓が跳ねて、思わずそんな自分に内心で首を傾げる。

 

「キミは本当に…っ、…最低だ……」

「………………」

「本当に……大…嫌い……だ…………」

 

 天使の身体から力が抜ける。反射的に引き寄せてしまった身体をなんとなしに抱きしめて…それから、悪魔は不意に、噴き出すように笑った。

 

「はは…っ、大嫌い…ね。良かった、オレ達まだ”両想い”だ」

 

 濡れた唇を拭ってやった指を舐めると、少しだけ舌が痺れたような気がした。

 軽い身体を抱き上げて寝台まで運ぶ。自分はそこの端に腰掛けて、その寝顔を見下ろす。

 

「それにしても、まったく…お酒ってのはコワイねぇ」

 

 “神の施し”などとご大層な名前がついているそうだが、結局の所あの飲み物はただのワインと言ってもいい代物だ。先ほど口に含んで確信した。自分の口に合わなかったのは、恐らくただ天界の葡萄を用いているからだろう。ということはつまり、彼は単に酒に弱いということになる。それもかなり。

 顔にかかっている紫色の髪を払うように退けてやると、眉を寄せて微かに身じろぐ。指の背で軽く触れてみた頬からは仄かな温かさが伝わる。そのままするりと撫でてみて、一体何をしているのかと息を吐いた。

 

「……オレも…”あてられちゃった”かな」

 

 そう零して自嘲する。あまりにも馬鹿らしい感覚だ。やはり今日は他の魔の者達と同じように大人しく籠もっているのが正解だったか。

 

「うわ、降り始めてる……」

 

 こんな状況になってしまっては、流石にこれ以上何かしようという気にはなれなかった。たまには大人しく立ち去ってやろうと思って窓に近付いてみると、いつの間にか外には白い羽根にも見紛う雪が舞い始めていた。今 外に出たら帰る頃には身体は氷のように冷たくなるだろうな、などと考えつつ、悪魔は部屋の中へと振り返る。

 

「せっかくだから言っておいてあげようかな。

 おやすみアビス君。……メリークリスマス」

 

 悪魔から天使に祝福を。呪いと言う名の祈りを込めて。

 キミが素晴らしき聖夜を迎えられますように。

†        †        †

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