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心配性のとある朝

 

 

†        †        †

 

 生徒会長たるもの、常に冷静でいるべきだ。如何なる状況で問題が起こっても対処出来るよう、常に余裕を持って行動するべきだ。私は、そうであれるように努めてきている。しかし、周りは私を見て言うのだ。

 「心配性」と。

 片腕であろうはずの副会長に至っては「キミって意外と抜けてるよねぇ」などとのたまう始末。確かに、筆記用具を気付けばどこかへやってしまうこともあるし、書類の書き損じをしでかす事も稀ではないが、だからといって、そんなことを言われる謂われは無いと思うのだ。

 ……無い……はずだ。

 そんな事を脳内でぶつぶつと考えながら、私は歩いていた。私は今、通学の途中であるはずだ。にもかかわらず、道の途中で誰一人として会う者が居ない。普段なら幾ばくか、同じ制服を着た生徒の姿を見かけるのに、だ。まさか、今日は休日だったかとも思ったが、それだけはあり得ない。だとすれば、考えられる可能性はあと一つ。

 荘厳な校舎が目に入ってきた頃、その付近に設置されている時計を見て、愕然とする。

 

「……早すぎた…………」

 

 当たっていて欲しくない予感ほどよく当たるものだ。時計の針は、私にとっては無情に、始業時間の40分程前を指していた。いくらなんでも早すぎる。校内の時計も同じ時間を指しており、外の時計が止まっているわけではないというのは明らかだった。

 しかし、早く来すぎてしまったものは仕方がない。さっさと教室へ行って、授業の予習でもしていよう。そう思って教室の扉を開ける。

 

「――――っ!」

 

 と、反射的に悲鳴を上げそうになってしまった。何故なら。

 

「…………フロー、レ…?」

 

 思いがけず、そこには人影があったのだから。

 

†        †        †

 

 

「……おはよう」

 

 向こうも驚いたのか、或いは思わず口元を手で覆ってしまった私に困惑したのか、室内に居た人物は控えめに挨拶の言葉を投げかけてきた。

 

「ぇ、あ、おはよう……アビス」

 

 それは、生徒会で風紀委員を任せている青年だった。教室で話す事はあまり多くないが、彼の風紀委員に相応しい生真面目さと厳格さを私はとても評価している。

 そんな彼は今、ブレザーを脱ぎ、ワイシャツの腕をまくっていた。その手元には…ホウキと、ちりとり。

 

「ええと……キミは、何をしているんだ?」

 

 見れば分からないでもないのだが。彼は自分の手元を見やり、ああと呟いてから言った。

 

「清掃だが……」

 

 やはり。だが、我らが光の学園には清掃専門の者が勤めているし、生徒自身が清掃を行う必要はないはずなのだが。

 

「ところで、始業時間にはまだ随分と早いが、どうかしたのか?」

 

 清掃用具を片付けながら、アビスはこちらに背中越しに問うてくる。

 

「それが…遅刻しないようにと思っていたら、思いの外、早く来すぎてしまったようでな……」

「……なるほど。キミらしいと言えばキミらしい……な」

「む、失礼だな。そんな風に思っていたのか」

 

 ふと見ると、普段乱れも無く真っ直ぐなはずの髪の一部がぴょこんと跳ねているのが目に入った。思わずそっと手を伸ばしてみる。すると、

 

「すまない、そんなつもりじゃ――!? ――――ッ!!」

 

 普通に振り返ろうとしていただろう相手は、知らぬ間に近づいていた気配にぎょっとしたように勢いよく振り返り、そのまま飛び退ろうとした。……そして…思い切り用具入れの扉に激突した。けたたましい音に反射的に身を縮めてしまう。が、慌てて動けないままでいる相手に駆け寄る。

 

「だ、大丈夫かアビス!?」

「っ…… フローレ……一体何をしようとしたんだ……」

 

 痛みが引かない様子でアビスが呻く。なんとなしに触れようと思っていただけに、強い罪悪感を覚える。

 

「いや…その、寝癖が、だな……」

「ね、寝癖……?」

 

 痛みを堪えていた顔が、今度は唖然とした表情に変わる。おそるおそる自分の頭の後ろへと手をやり、気付いたのか、動きが固まる。

 

「あ、アビス……?」

「…なん、てことだ… このボクとしたことが……」

 

 ふらりとした動作で、彼は教室の入り口へと向かおうとする。

 

「ど、どこへ行くんだ?」

「少し…水を被りに……」

「えっ いや待て待て待て、流石にそこまでしなくても良いだろう」

「……っ」

 

 手首を掴んで引き留めると、相手はまた、やけに勢いよく振り向く。……心なしか顔が赤い。

 

「どうした、体調でも悪いのか?」

「……そういうわけじゃない……」

「なら良いが…… そのくらいの寝癖なら、櫛で梳かせば直るだろう。ほら、座れ。私が梳かしてやろう」

「あ、いや……」

「……始業時間になっても、そのままにしておくつもりなのか?」

「…………」

 

 急にあたふたし始めた相手にとって、脅しにも近い言葉を投げかける。平素より一糸乱れぬ振る舞いを理想に掲げる風紀委員は、観念したように、椅子に腰を下ろした。

 カバンからいつも持ち歩いている櫛を取り出し、後ろ側へ回る。背筋を伸ばし、固まっている様子の彼の髪へとそれを当てる。するすると、滑らかな髪が櫛の間を流れていく。

 

「キミは……綺麗な髪をしているんだな」

 

 この分なら、一部を念入りに梳かすだけで済みそうだ。

 

「そうか……?」

「何か特別な手入れでもしているのか?」

「いや、特に何もしていないが……」

「ふぅん、羨ましいな」

 

 そこで会話が途切れてしまう。思えば、彼とはこうして二人きりで他愛ない会話をする事が滅多に無い。話しはするが、それは大抵生徒会室で他のメンバーも居る場で、内容も仕事に関した話題である事がほとんどだ。一体、何を話せば良いのだろうか。お互いに無言のまま、梳かされ、私の手元から離れた髪が彼の肩へ落ちる微かな音だけが響く。

 

「…ボクは……キミの方が綺麗だと思うが……」

 

「……?!」

 

 同じく沈黙をどうにかしようと思っていたのだろうか、アビスがぽつりと零す。しかし、強張った声の内容に虚を突かれ、思わず手が止まってしまった。

 

「あっ、ちがっ、キミの髪の方が、という意味だ……!」

 

 一拍遅れて発言の誤りに気付いたアビスがおかしい程に狼狽えて訂正する。わざわざ振り返った顔は、耳まで真っ赤に染まっている。

 

「いやっ 勿論髪以外も――っ!?」

「落ち着け」

「……!」

 

 明らかに冷静さを欠いている相手の肩に手を掛ける。驚き、私を見上げる相手に、軽く笑いかけてみせる。

 

「キミの言いたかった事は分かっているとも。世辞だとしても、そう言ってもらえて嬉しいぞ」

「…………」

 

 きょとんとしたままだった彼は、間を開けてから、またハッとしたように顔を前に向ける。

 

「そ、そうか…… それなら、良いんだが……」

 

 髪を梳かす作業を再開する。今の騒ぎで若干乱れてしまったからだ。

 

「…世辞…では………ん……な……」

「ん? 何か言ったか?」

「……いや……」

「そうか」

 

 ふと、時計へと目をやる。まだ始業まで時間はあるが、そろそろ登校してくる生徒もいる頃だろうか。

 

「さあ、出来たぞ。これで完璧だろう」

 

 軽く肩を叩いて合図する。

 

「ああ、ありがとう。……助かった」

 

 立ち上がって、上着を羽織りながらアビスは言う。整えられた滑らかな髪が肩を流れる様に思わず目を細めた。

 

「ふふ、構わん。何なら、機会があればまた梳かしてやろうか」

「あ、いや、それは……」

「なんてな、冗談だ」

「…………」

 

 ほんの少しだけからかうように言ってみると、相手は驚いたように目を丸くし、それからばつが悪そうに目を逸らした。

 

「私はこう毎日も早く来るつもりは無いからな。……そういえばキミは毎日こんな時間に来ているのか?」

「ああ、毎朝清掃をするためにな」

「何故だ? うちには専門の者がいるだろう」

「それは……自分たちで使う教室だからこそ、多少なりとも、自ら教室を綺麗にしておくべきではないかと思うから……だな」

「なるほどそうか……。よし、ではやはり私も明日からこの時間に登校することにしよう。キミの意見はもっともだ」

 

 すると、意気込む私とは対照的に、アビスは慌てたような、困惑したような顔を浮かべた。

 

「なんだ、駄目…か?」

 

 じぃと顔を覗き込むと、また目を逸らされる。そして彼はそのまま微かな声でぽつりと零す。

 

「駄目ではない……が」

「ならば、決まりだな!」

 

 タイミングを見計らったかのように、チャイムが鳴った。この音を目安に続々と生徒が登校してくる早朝のチャイムだ。

 

「身が…持たないかもしれないな……」

 

 アビスが何か呟いた気がしたが、響く音にかき消されて聞き取ることは出来なかった。

 

「では、今日も一日よろしく頼むぞ、アビス」

「……ああ」

 

 どこか気を取り直したかのように、漸く ふ、と小さく笑った相手に、同じように笑みを返す。

 廊下から、微かに人の足音が聞こえてくる。いつも通りの学園生活がそろそろ始まる。

 

 いつもよりも長い始業時間前の時間だった。だが。

 たまには、早く来すぎる事も、悪くない。

 

 

†        †        †

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