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Freaky morning

 


†       †       †

 とある木曜日の朝。カランコロンと軽やかに、飾り硝子の嵌まったドアに取り付けられたベルの音が鳴った。ブラウンを基調としたシックな雰囲気漂う喫茶店に入ってきた客を見て、店員は心得ているかのように、”指定席”へとその客を案内した。――否、しようとした。
 その客は、毎週同じ時間に訪れ、同じメニューを注文する”常連客”だった。時々楽器の入ったケースを背負ってくることから、何か音楽に携わっている者だろうということは推測出来た。お決まりの席でお決まりのようにモーニングセットを注文し、お決まりのように珈琲を飲んでいく。退店時間までお決まりの時間であるこの客は、店にとっても”当たり前”の一部と化していた。……だからこそ、”いつも通り”の対応をしようとしていた店員は一瞬…勿論ほんの一瞬だけだが、面食らってしまった。何故なら今日は、その客の後ろにもう一つ人影があったのだから。

†       †       †

「フゥン、ここがコスタ行きつけのお店なんだね」

 喫茶店の一番奥、壁際の二人掛けの席に”いつも通り”腰掛けた男は、正面に座っているもう一人の男を一瞥し、呼び鈴を鳴らすのを見計らったようにやってきたウエイトレスに注文を告げた。

 

「あ、同じのもう一つお願い」

 

 ウエイトレスが自分の方を向いたのを見て、青髪の男はにこやかに告げ、それからウインクを投げかける。仄かに頬を染めて小走りに戻っていく背にひらひらと手を振っていると、テーブルの下で周りには聞こえない程度の音が響いた。同時に足首に鈍い痛みが走る。思わず短く声を上げて、正面に視線を戻す。

 

「ってて…… 何するのさ」

 どこか冗談めかした口調で文句を垂れる男に、色のついたサングラスをかけた男――コスタは頬杖をつきながら、その薄い硝子の奥でいさめるように目を細めた。

「そういうのがお前さんの悪いところなんじゃないか、ストルナム」

 

 青髪の男――ストルナムは肩をすくめて軽く息を吐き、それから姿勢を正した。その、妙にサマになるキザな態度にコスタは眉間の皺を深く刻み、半ば相手にも聞こえるように「やっぱり連れてくるんじゃなかった」と呟いた。

 今日、ストルナムを連れてきたのは、コスタにしては珍しい、本当に珍しい”気紛れ”だった。朝いつも通りにコスタが彼らの住むシェアハウスから出ようとしたとき、リビングのソファに沈む人影を見つけた。普段ならそのまま無視するところだったのだが、その日声をかけてしまったこと、それが始まりだった。

「おいストルナム、寝るなら自分の部屋で寝たらどうだ」
「ん…あぁ……コスタ…おはよ……」

 

 ソファに一人で悠々と横になって身を沈めていた相手はゆるゆると顔を上げた。瞼が重そうにしながら こちらを見る目はまだ夢から覚めていないような様子である。

 

「どっか行くの……?」
「ああ」

 適当に流しながら、コスタはソファの横を通り過ぎる。否、通り過ぎようとした。不意に身体がぐいと引き留められる。視線を戻せば手首が掴まれていた。

「…………おい、離せ」
「オレもつれてってよ」

 甘く、僅かにハスキーな声が囁くように言った。

「…………」
「昨日女の子にフラれちゃってさぁ…… 人恋しいんだよ……」

お願い。と、どこか甘く誘うような声。相手によっては”勘違い”を起こしてしまいそうな。

「お前さん酔ってるのか」
「酔ってない酔ってない」

 眉を顰めて顔を近づけてみれば、確かに酒の気配は無い。間近に迫った青緑の瞳がこそばゆそうにくすくすと笑う。それからじっとこちらを見つめた。

「ねえ、連れてってくれる?」
「…………ああ」

 正直少し面倒になってきていた。”いつも”の時間には既に遅れてしまっている。邪魔になるようなら蹴り出せば良いか。――――そう考えて、現在に至る。

 運ばれてきたモーニングセットの珈琲を口にしながら、コスタは機嫌良さそうにベーコンエッグを口に運んでいるストルナムを見やる。今やソファで沈んでいた時の様子は全く無い。チョロい男だ。

「これ、最高に美味しいね。流石コスタが贔屓にするだけあるね」
「当然だ」

 このオレが選んだ店なのだから。何事においてもカンペキでないわけがない。そんな感情を込めて返せば、ストルナムはくすりと笑った。

「フフ、なんでコスタがそんなに得意げなの」
「……!」
「自分のお気に入りを褒められて喜ぶ子供みたい。カワイイね」
「な……っ」

 いつもなら反論するが、確かに今のは相手の言う通りだった。結局何も言えず、僅かに頬を紅潮させたコスタを見てまた小さく笑い、ストルナムはおもむろに呼び鈴を鳴らす。やってきた店員に「チョコレートパフェを一つ」と告げると、何を勝手に注文しているんだと言いたげな目をしているコスタの方へと向き直りながら、小さく首を傾げた。

「だって、こんなにモーニングセットが美味しいんだからさ、スイーツだってきっと美味しいでしょ」

  

 コスタ、食べた事ある?と尋ねられ、思えば、自分は本当にいつも同じメニューしか口にしていないと思い出す。

「いや……無いが」
「やっぱり! 勿体無いよ、せっかく良いお店を知ってるのにさあ!」

妙に熱のこもった口調でストルナムは言う。朝からテンションの高い。……さては。

「……お前さん、ここを自分の”行きつけ”にもするつもりじゃないだろうな」

 じろりと睨めば、相手は慌てたように顔の前で手を振った。

「さ、流石に仲間がお得意さんの店をそういう風に使おうとは思わないよ!」
「どうだか。お前さんは”そういう”為のリサーチは欠かさなそうだからな」

 実際この店は雰囲気が素晴らしいし、きっと女性だって喜ぶだろう。甘味を頼んだのだって、味見のために違いない。そんな疑念の目を腫らさないコスタに、ストルナムが困ったような笑みを浮かべたところで、パフェを手にした店員が席へとやってきた。ちょうどいい大きさの器に綺麗に盛り付けられたパフェに、微かに目を輝かせる相手をコスタが横目で眺めていると、アイスクリームとフルーツが載せられた細長のスプーンが自分の口元に伸ばされてきて思わず困惑した。

「……何のマネだ」
「この店の”お得意さん”はコスタだからさ、先にキミが食べないと」
「………………」

 にこやかに言う相手の言葉の意味はさっぱりと理解出来なかったが、ここで抵抗するのも店に対して何やら悪い気がする。

「あー ほらコスタ、早く食べてくれないと溶けちゃう」

 急かすようにストルナムがまた少し手を伸ばす。半ば反射的に口を開いてしまえば、スッとスプーンが差し入れられた。冷たいアイスクリームが舌の上で溶ける。決して甘すぎず、しかし しっかりとした上品な甘さが口の中に広がる。フルーツとの相性も悪くない。

「どう?」
「……美味い」
「そう? 良かった」
「……なんでお前さんが嬉しそうなんだ」

 ふっと優しく笑う相手に怪訝そうに返せば、その顔はキョトンとした顔に変わる。それから彼は小さく噴きだした。

「フッ…くく…… ねぇコスタ? もしかしてそれって、さっきの仕返し?」

「…………悪いか」
「…ふふ……っ、カワ――――ぃ…っ、……すぐそうやって蹴らないでくれる!?」
「自業自得だろうが」
「何が!?」
「さっきから男に向かって”カワイイ”とかぬかしやがって。そういう事は女に言え。そっちの方がお得意だろうが」
「……………そうでもない、よ」

 それまでテンション高く喚いていた声が一変、声のトーンが落ちた。意外な反応に驚き、コスタはコーヒーカップを持ち上げていた手を思わず止める。

「確かに、オレは女の子が好きだし、女の子は皆カワイイと思ってる。でもそれは女の子だからカワイイと思ってるんじゃなくて、その子がカワイイと思ったからそう言ってるだけであって適当な気持ちで言ってるわけじゃ――――って聞いてるコスタ?」
「ああ聞いてる聞いてる」

 一瞬でも真面目に聞いてやろうとして損をした。早い段階で完全に話を聞き流し始めていたコスタは珈琲のおかわりを頼んでいた。ストルナムは不満げな表情を浮かべながら、少し溶けてきてしまったパフェを口に運び、続ける。

「つまり、オレがカワイイって言うのは上辺だけの言葉でも冗談でもなくて心から言ってるってことで…………って今度は何」

不意に眼前にカップを突きつけられストルナムは口を噤む。無言で腕を伸ばしている相手に目を向けると、圧を感じさせるような低音が短く「飲め」と鼓膜を震わせた。

「ええ……? オレが苦いの嫌いこと知ってるでしょ?」
「いや知らないな」
「う、ウソでしょ」

 実際ウソなのだがコスタは答えない。ストルナムは恨めしそうな視線を向けるが、やがて観念したようにカップを受け取った。ふちに口を付けて一口、それから少しだけ眉を顰めた。

「……苦い」
「だろうな。だが、後味は悪くないだろう」
「え? ……うん、確かにそうかもね。飲みやすい」
「そうだろう」

 満足げに口端が僅かに持ち上がった。

「……ねぇ、コスタ」

 じっと顔を見つめながら、ストルナムはカップを返す。

「……何だ」
「今、少し嬉しかった?」
「………………」

 自分の”好き”を相手とも共有出来て。


「オレはさっき、嬉しかったよ」

 

 嬉しくないわけがないのだ。――ましてやそれが、好意を抱いている相手なら。ストルナムが最初に笑ったのも、馬鹿にしたわけではなく、その嬉しさが滲み出ていたコスタが愛おしく感じられたから。それに漸く気付き、コスタはどこか悔しそうな顔を浮かべ目を逸らす。そのまま誤魔化すように珈琲を一口飲み、呟いた。

「…………そういうことにしておいてやる」

 ストルナムは笑い、パフェを一匙すくう。

「ねぇ、もう一口、どう?」

「………………ああ」

 嗚呼、今日は本当に気分がどうかしている。

 そうとしか思えないコスタはまだ、自分もまた同じような感情を抱いていることには、気付いていない。

†       †       †

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