『Je serai ton bouclier』
-幼き日の誓い-
※幼馴染み設定捏造
† † †
昔、彼女が泣いているのを見たことがある。まだ、ボクらが幼かった頃の話だ。
彼女は昔から気高く、可憐だった。けれど少し大人びていて、同い年の少年少女たちの中ではどこか浮いているようにも見えた。
異質なものを集団から排除しようとする傾向にあるのは、人間も天使も変わらない。寧ろ、"決まり"がハッキリとしている"ボクら"の方がその傾向は強かったと言えるだろう。光を連想させる金髪や、空や木々を連想させる髪色の方が多い"ボクら"の世界では、燃え盛る炎…もしくは鮮血を思わせる鮮やかな紅蓮色の髪の彼女は奇異の目で見られていた。"魔"を連想させる紫色の髪を持つボクも同じようなものだ。だからボクらは……幼い頃から一緒にいることが多かった。
「フローレ……」
目の前で膝を抱えて俯く彼女の頬には、涙が流れて落ちていた。慰めの言葉の一つも上手く浮かばない自分が歯痒かった。きっとまた、誰かから心無い言葉を向けられたのだろう。ただほんの少し他の者と違うから、悪いものを連想させるからというだけで、この世界はなんて理不尽なのだろう。
「こんな髪……」
俯いたまま、ぽつりと、か細い声がこぼれる。ぐしゃり、真っ直ぐで鮮やかな髪が乱暴に鷲掴まれた。
「切り落としてしまえばいいのだろうか……」
「――――――」
……子供ながらの発想だ。その程度では、きっと何も変わらない。けれど、そんなことを考えてしまうほど彼女が追い詰められてしまっているのなら。ボクは…………
「フローレ、そんなことをしたら、駄目だ」
「でも、そうすれば今みたいにイヤな目で見られることだって無くなるかも――――」
「きっと、上手くはいかない」
「……っ!」
漸く顔を上げた彼女の瞳にまた涙が浮かぶ。
「それなら……っ」
どうすれば、という言葉は涙声に阻まれて明確な言葉にはならなかった。透明な涙が頬を伝ってぽろぽろと落ちていく。
「大丈夫だから」
濡れた青い瞳が丸くなる。その視線から逃げ出さないよう、強く見つめ返しながら、口を開く。彼女に、そして自分にも誓うように。
「ボクを信じて」
† † †
手の平の上を美しい紫色の髪が流れていく。ゆっくりと櫛を通しながら、緊張しているかのように背筋をピンと伸ばしたまま動かない幼馴染みを見やる。
昔……あの時から、彼は髪を伸ばしている。ただでさえ目立つ紫――闇色の髪を。
『ボクがキミを護るから』
その言葉の通り、あの時から、彼は私の”盾”となった。今でこそ長髪の男子生徒も少なくないが、当時は男子が長い髪をしているというだけで目立ったものだ。そしてまた、彼は”秩序”を守るために動き始めた。その持ち前のものでもあった正義感や厳格さは、さぞ”違反者”にとっては目障りに映っただろう。――――つまり彼は…そうすることで、今まで私に向けられていた”悪意"も全て、自分へと向けられるように仕向けたのだ。
『だから――――』
光の学園へ進学して、誰もが成長した今では、こんな外見程度の問題で”悪意”を向けるものはほとんど居ない。私だって、いつまでもただ護られるだけのか弱い少女でいるのではなく、強くなろうと努力し、自己を高め、今ではこうしてこの学園の生徒会長の座に就いている。自分で自分を護れるように、そして、彼のことも護れるように。
それでも――――
「……フローレ……?」
いつの間にか手が止まっていたらしい。肩越しに振り返ろうとする彼の滑らかな長髪が肩の前へ流れていかないように、指を首筋に沿わせるようにして掬い上げ、戻す。驚いたように、僅かに肩を跳ねさせて再び前を向き直す様子を見て、知らず小さく息を吐く。昔からそうだ。彼は幼い頃からずっと、私の傍に居てくれた。けれど、こうして触れる事にはいつまで経っても慣れてくれないようだ。
「…………アビス」
「どうした?」
「私は……、キミの枷になっていないだろうか」
「―――――」
アビスは答えない。ただ、ほんの少しだけ顔を下げた。今の言葉の意味を図りかねているようだった。少し間を置いて、微かに息を吐く音が聞こえた。
「…………何故、そんなことを思ったんだ?」
「……キミは、ずっと私の助けになってくれていた。私を護ってくれていた。けれど、私はキミにずっと頼ってしまってはいないだろうかと、ふと不安になったんだ。この髪は……もしかしたら、今でもキミを”縛って”しまっているのではないか、と……」
精悍な背中に流れる美しい藤色の髪をそっと撫でる。もし彼があの時の誓いを守り続けてくれているのなら。この髪が今なお”鎖”となってしまっているのなら。
「…もう……いいんだぞ」
私はもう、自分で自分を護れるから。
「…フローレ、ボクは――――っ!?」
振り返ったアビスが目を見開き、言葉を詰まらせた。そして慌てたように音を立てて椅子から立ち上がり、狼狽えた表情を浮かべた。
「なっ、何故泣いているんだ……?!」
「え? あ……」
言われて、初めて頬が濡れていたのに気付く。
「フロ…………」
ああ、アビスが困っている。困らせてしまっている。やはり、私はまだ弱いままなのか。優しい彼にいつまでも甘えて、彼を縛ってしまう。
「……っ、すまない。…すまない……、アビス……」
泣き止まねばと思っても、一度流れ始めた涙は止まってくれそうになかった。思わず顔を覆う。これ以上、彼に情けない姿を見せるわけにはいかない。
「…………フローレ」
そっと、壊れ物に触れるかのようにそっと、肩に両手が添えられたのを感じた。顔を上げる。拍子に頬を流れた涙がぽろぽろと落ちた。目の前には、あの時と変わらない、強い決意を宿した紫水晶の瞳があった。
「アビス……」
「……聞いてくれ、フローレ」
アビスは一呼吸置くように、一瞬だけ目を閉じた。
「ボクは…”縛られている”なんて思ったことは一度も無い。ボク自身の意思で髪を伸ばしているに過ぎないし、ずっと、ボク自身が”ここ”に居たいと思っているだけだ」
「だが……私のせいで、キミは受ける必要の無い悪意まで……」
「それもボク自身が望んだことだ」
「でも……」
「フローレ」
「…………」
「……ボクはあの時、キミの泣くところは二度と見たくないと思ったんだ。その為なら、自分はどんな目に遭っても構わないと思った。ただ、それだけなんだ。全て、ボク自身のエゴだ。だから、キミが負い目を感じる必要なんて無い。それに…………」
いつも、その厳格さを表すように引き上げられていた眉尻が、僅かに下げられる。長年一緒に居ても滅多に見たことの無かった表情に、思わず息を呑んでしまった。
「キミがボクの為に泣いてしまっては、ボクは自分で立てた誓いを自ら破ることになってしまう」
だから――――
そこで不意に、言いかけた言葉は遮られた。突如響き渡った引き戸が開かれる音によって。続いて投げかけられた、穏やかながら不思議な力を感じさせる声色は、この場の空気を一瞬で塗り替えるには十分だった。
「おや? アビスにフローレ、まだ居たんだね~」
「――――ッ」
「ルクス……」
ゆったりとした動作で室内に足を踏み入れてきたのは我が生徒会の副会長。彼は傍までやってくると、私達を交互に眺め、それから腕を組んで口元に手を当てた。それから小さく首を傾げる。
「少し忘れ物をしたことに気付いて戻ってきたんだけど……もしかして、お邪魔しちゃった……かな?」
目線の先は未だ私の肩に置かれていた優しい手。その手の持ち主である彼は今…一人だけ時が止まってしまったのかのように凍り付いている。……顔が真っ赤だ。
「邪魔? 邪魔などではないが……」
「……あれ、ところでフローレ、目元が濡れているね。アビスに泣かされたの?」
「ッちが……っ ……いや……」
「あ、動き出した」
弾かれたように私から離れたアビスは、目線を逸らして言い淀む。ああ、本当に彼は優しい。”護られる”より先に、僅かに彼の前を遮るようにして立つ。
「違う。私が勝手に泣いたんだ。それで、彼を困らせてしまっていただけなんだ」
「……そっか。何があったかは、聞かない方が良いかな?」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
「うん。分かったよ。それじゃあ、少しでも早くキミの気持ちが晴れるのを祈ることにしよう。フローレには笑顔の方が似合っているからね」
ね、アビス? とルクスが顔を傾けて私越しに彼へ言う。問われた彼は、未だ しどろもどろな様子で「ああ…」とだけ答えた。
「ほら アビスもそう言ってる」
「あ、いや、」
「あれ、違うの?」
「え、あ、ちが…わない……が……」
まだ少し顔を赤くしたまま挙動不審な彼を見て、少しだけ口元が緩んだ。昔から変わっていないと思っていたが、少しだけ、変わった部分もあったようだ。
「アビス」
「! なん――」
「ありがとう」
自分が出来うる限りの、笑みを浮かべてみせる。彼がそう望むなら、私は笑おう。あの時のキミもそう言ったように。どこか眩しそうに目を細めるキミも、笑えるように。
「……ああ」
二人で一緒に、笑い合えるように。
――――だから笑って。ボクは、キミの笑っているところが好きだから
† † †