Maladie de l'amour
† † †
ああ、いつからだっただろうか。
あの美しく鮮やかな赤色の髪が、目に留まって仕方ないのは。
その姿を、知らず内に目で追いかけてしまうのは。
午後の授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「起立」
凜とした号令に合わせて、生徒が一斉に腰を上げる。同じように立ち上がりながら、斜め後ろからの視界で、髪の影から覗く蒼色の瞳をまた追っていた自分に気付き、慌てて視線を引き剥がす。
「礼」
着席し、静かに、けれど長く息を吐く。片手で頬杖をつき、外を見やる。
ああ、いつからか、自分はおかしい。
「―――…ス……」
可憐な小花のような形の良い唇に名前を呼ばれること。なんて光栄なことだろう。天使であれば厭うても不思議ではないこの名前でさえも彼女はなんでもないことのように呼んでくれる。もっともそれは、他の生徒会の仲間もそうであるが。
ただ、彼女に呼ばれたときとそれ以外の誰かに呼ばれたとき、自分の中に何らかの差があるのだけは確かだった。胸の中心がほんのりと熱を帯びるような感覚の正体は未だ自分の事なのに掴めていない。
「―――ビス……」
幻聴まで聞こえるようだ。……これは自分でもどうかと思――――
「―――アビス!!」
「―――っ!? …………!?」
明らかに幻聴ではない、質量を感じさせる声が突如響いた。思わず目を開いて声のした方へ視線をずらすと、いつの間にか見慣れてしまった蒼が真っ直ぐに視界に飛び込んできて、反射的に上半身が仰け反った。
「な…………?」
「ああ、すまない、大きな声を出してしまって。授業が終わったのに、キミがまだずっと席に座ったままだったから何かあったのかと……」
少し目を閉じたつもりが、意識が飛んでいたのだろうか。放課後とはいえ居眠りなんて、自分らしくないにも程がある。彼女でなくても不審に思われていただろう。
「そ、そうか…… こちらこそすまなかった。ええと…フローレ……、どうしたんだ……?」
しどろもどろになりながらも なんとか言葉を絞り出すと、彼女は その普段冷徹な色を宿している瞳をキョトンと丸くして、それから困惑したように言った。
「いや… それはどちらかというと此方の台詞なんだが……。私は今日の日直だから教室の片付けをしていただけだぞ」
「…あ、ああ……そうか……」
そうだ、だから授業終わりの挨拶をしていたのではないか。本当に、何を尋ねているんだか。
「それで、キミこそどうしたんだ。どこか具合でも悪いのか。生徒会は欠席するか? それなら私がそう伝えておくが」
じっと顔を覗き込まれて何故か身体が熱くなった。自分ではそんな自覚はなかったが、もしかしたらそうなのかもしれない。だが。
「いや、大丈夫だ。生徒会には出る」
「そうか。なら良かった。…ではせっかくだ。一緒に行こうか?」
「―――えっ…」
「え……?」
思ってもいなかった提案に、自分のものとは思えないあまりにも呆けた声が漏れた。それに驚いたらしい相手の瞳には、同じように目を丸くした自分の姿が映っていた。
「あ、いや… もう少しで終わるから、と思っただけなんだが…、勿論先に行っても大丈夫だぞ……?」
ああ、困らせてしまっている、彼女を。彼女のことだから、本当に他意無く言ってくれたのだろう。或いは自惚れて良いのなら、いつもと様子の違うボクを心配して言ってくれたのかもしれない。
冷淡なように見えて、その実 誰に対しても優しく、常に周りの者へ気を配っている彼女。何事にも真剣で、それでいてどこか抜けているところが魅力なのだと、誰かが話していたのを聞いたこともある。そんな誰からも好かれている彼女を困らせるなんて、自分はなんてことをしているのだろう。
「違……、ぁ…その……ま…待って……いる…」
上手く舌が回らない。なんてことはない返事一つするのに、どうしてこんなにも緊張してしまうのだろう。
「う、うむ、そうか。なら早急に終わらせなければな」
どこか嬉しそうにした彼女の顔を、もうまともに見ることすら出来なくて、思わず顔を逸らす。それなのに。
「……っ、アビス!」
「――――――!?」
それなのに、不意に驚いた声を上げた彼女に驚く間もなく顔の向きを戻された。反射的に心臓が大きく跳ねる。体中の熱が集中したのかのように、顔が熱い。頬に触れている彼女の体温がどこか心地よく感じてしまう程には。
「キミ、顔が真っ赤じゃないか…! やはり、体調が悪いんじゃ……」
「いや……、…いや」
ああ もう分からない。
もしかしたら本当に自分は病気なのかもしれない。
分からない。自分がどうしてこんな風になってしまうのか。
原因だけは分かるけれど。
だが、言えるわけないじゃないか。
こんな、こんなにもおかしくなってしまうのは キミの前だけだなんて―――!
† † †