午前3時のお茶会
† † †
静寂。明かりのついていない部屋に、月明かりが差し込んでいる。時計の短針は3の文字近くを指し、今が深夜である事を示していた。
夜にもかかわらずカーテンの開け放たれた部屋の主は、小さめの丸テーブルに純白のクロスを広げた。その上には真紅の薔薇が生けられた花瓶とキャンドル。キャンドルに火を灯せば、薄暗かった室内が柔らかな光に包まれる。それから2客のティーセット。カップに琥珀の紅茶を注げば、ふわりと香りが立ち上る。ポットを置き、自席に座ると、まるで待っていたかのように、控えめに扉を叩く音が響いた。
入ってきたのは長い紫髪の青年だった。彼は入り口で軽く会釈をすると、テーブルの横までやってくる。
「ようこそ、時間ピッタリだね。流石アビスだ」
仰々しく迎えると、相手は当然だと言うように小さく肩をすくめ、着席した。
「……良い香りだな」
「ふふ、そうでしょう? 特別な茶葉が手に入ったからね、淹れてみたんだ」
ふぅんと小さく零して、アビスはカップへと手を伸ばす。男性のもののようで、どこか華奢な指が取っ手を持ち、唇がふちに触れる。嚥下に合わせて静かに喉が上下する。ほぅと小さく息を吐き、そこでこちらの視線に気付いたのか、相手は怪訝そうに目を向ける。
「……なんだ」
「ううん? なんだか楽しいな~と思ってさ」
「ボクが紅茶を飲むのを見ているのが、か?」
「そうだよ」
「…………」
冗談のつもりだったのだろう、思いがけず肯定されて、アビスの顔が呆ける。その反応さえも愉しいというように笑って、部屋の主である金髪の天使は自分の紅茶を啜った。
二人きりの、真夜中のティーパーティ。週に一度のヒミツの逢瀬。規律に煩い彼を深夜に招くのは大変だった。しかし、生徒会室でお茶をするのを控える代わりに、と提示すると彼はしぶしぶといった様子で承諾した。少女達のように、特別談笑するわけでもない、静かな、時折カップを置く音が響くだけのお茶会。
「……まったく、キミの趣味は理解しかねるな」
呆れたように言葉を紡ぐ相手に、彼――ルクスは尋ねる。
「キミは楽しくない?」
「……楽しくない、わけじゃない。キミの淹れる紅茶は美味しいしな……」
「フフフ ありがとう」
「先ほど今日のは特別な茶葉だと聞いたが」
「そう。ムーンドロップと言ってね、夜明け前の月明かりの下で摘まれたものだそうだよ」
「なるほど…… 味も、いつも飲むものとは少し違うようだ」
「ふふ 分かる? 嬉しいなぁ、キミが紅茶に興味を持ってくれて」
そう言って笑いかけると、アビスは目線を逸らし、またカップに口をつける。
「……別に、そういうわけじゃない。ただ、わざわざ貴重なものを用意してもらったのに、知らないままなのは失礼だと思っただけだ」
「フフフ そっか~」
「…………」
じろりと、訝しげな目が向けられる。それを受け流すように笑みを返しながら、ルクスも自分の紅茶を味わう。紅茶で喉を潤し、一息をつく。
「でもねアビス、僕は本当に嬉しいんだよ。キミとこうして御茶を飲めることが」
「……? それなら、普通に休日にでも他のメンバーも呼んで、茶会を開くなりすればいいんじゃないか?ボクだって、そこまで付き合いは悪くはないぞ」
「フフフ そうだね……」
だけどね、キミと二人きりなのが嬉しいんだ、なんて、そんな言葉は心の内にしまい込む。そうでなければ、ここまで手の込んだ準備なんてしないのに。わざわざキミを夜更かしさせてまで独占する。強いて言うなら優越感のような感情。僕がこんな感情を抱いているなんて、キミは気付きもしないのだろうね。
うっかり言葉を零さないよう、熱い紅茶で流し込む。
ゆらゆらと、短くなってきたキャンドルの灯が揺れる。照らされた薔薇がより赤々と輝き、テーブル上に彩りを持たせている。
注ぎ足された熱々の紅茶に口付けながら、手を組み、笑みを浮かべながらこちらを眺めている相手をちらと見やる。そしてまた目線を逸らしながら、喉元を熱が通り過ぎるのを感じる。深く、優しい甘さを味わいながら、どこか不思議な残り香を自分も纏っているのに気付き、何だかおかしな気分になる。
楽しくないか、など、なんて愚問なことか。もしそうなら、この自分がわざわざ夜間に出歩いてなんて来やしないのに。キミを独占できるなら、多少の規則違反には目を瞑ってしまおう、なんて、ボクがこんな覚悟までして来ているのには、彼はきっと気付かないだろう。無論、気付かせるつもりもない。
ボクらの逢瀬を知るのは、部屋に淡く差し込む月の光だけでいい。
「……さあ、そろそろ、時間だ」
カチャリとカップがソーサーに置かれた音が響く。アビスが立ち上がりながら、時計の方へと目を向ける。
「あぁ……楽しい時間はあっという間だね」
同じ方向へと目をやりながら、ルクスが呟く。
「……そうだな」
「ふふ また来てくれる?」
隣へと歩み寄り、顔を覗き込むと、アビスは整った眉をほんの少しだけ下げて“努めて”冷静に言った。
「……仕方ないな」
「フフフ ありがとう」
月が雲に隠れ、限界まで短くなったキャンドルの明かりが弱くなる。
「アビス」
立ち止まり振り返った相手の襟元へと手を伸ばす。肩から流れる髪を一房手に取り、そっと口付ける。
「おやすみ」
「……ああ」
するりと指の上を髪が流れていくのを、心なしか寂しく感じながら顔を上げると、首筋に何かが触れた気配がして思わず息を呑む。
「……おやすみ」
自分がしたのと同じように、金髪を一房手に取り、軽く口付けて相手は言った。慣れているわけもないのか、半ば慌てたように手を離し、身を翻してドアノブへと手を掛ける。
再び差し込んだ月明かりが、ぼんやりと二人の姿を照らし出す。
「……それじゃあ」
「うん、またね」
また、この月夜に。
† † †
付き合ってないです(断言)