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Voix du diable

※中の人ネタ

 

 

 

 

†        †        †

 

 コツ、コツ、と薄闇の部屋に靴音が響く。口元に小さく笑みを浮かべながら、その人物は部屋の一角に設えられた簡素な寝台へと近づいた。

 ベッドの上には、長い紫色の髪をした青年が横たわっていた。背中には白く大きな翼が広がっている。それは彼が天使であるという事を示していた。瞳の色は見えない。目を閉じているから…ではなく、その目元には包帯が巻かれているからだ。

 

「……おはよう。…………起きてる?」

 

 ベッドの脇に立ち、部屋に入ってきた人物は呼びかける。少し吐息混じりの、とても優しい声で。指先で顔にかかる髪を退けると、横たわったままの青年は、あぁ…と小さく息を零した。

 

「……その声は…、ルクスか…?」

「…………そうだよ。おはよう、アビス」

 

 相手に見えていないのは分かっているが、人物は笑いかけながら言葉を返す。

 

「もう、朝なのか……?」

 

 ぼんやりとした様子で呟く彼に、また口端を持ち上げて、人物は窓の方へと目を向ける。締め切られたカーテンの隙間から淡く差し込む明かりに目を細め、向き直って長い髪を撫でる。

 

「……そうだよ。やっぱり感じられない?」

「……ああ」

「災難だったね……。クエストで目をやられるなんて。……痛む?」

 

 髪を撫でていた手で、目を覆っている包帯へと軽く触れる。

 

「いや、痛みは無い。だが……、光の感覚を感じられないのは、不便なものだな。それに……」

 

 そこで彼は上体を起こす。そして何かを探すように周囲を見回し、それからまた初めと同じ方向へ顔を向ける。

 

「目が見えないと、キミの気配も分からないものなんだな……」

「…!」

 

 人物の肩が小さく跳ねる。相手はその反応に気付かなかったようで そっと胸をなで下ろす。

 

「……寂しい?」

 

 半ば自分の感情を取り繕うように問う。努めて優しく、”彼”のように。問われた相手は、少し黙り込んで、それからぽつりと零す。

 

「……まぁ、少し、な」

「ひゅ……」

 

 思わず口笛を漏らしそうになって慌てて口を噤む。

 

「ルクス……?」

 

 流石に今度は気付かれたらしい。

 

「あぁ、いや、ごめんね。思ったよりキミがスナオだったから」

「……そうだな。……確かに、ボクらしくないな。やはり少し気が弱っているのかもしれない」

 

 特に気を悪くした様子もなく、アビスは息を吐いて、僅かに視線を落とす。

 

「何も見えないのは不安を煽る。……目を開けているのに、闇の中にいるみたいだ」

「…………キミは、闇が恐いの?」

 

 闇属性の天使なのに、と続けそうになった言葉は呑み込む。“彼”はこんな事言わないだろうから。

 

「……ああ。ボクだって“これでも”天使だから、な」

 

 こちらの思考を察知していたかのように、僅かに自嘲気味に笑ってアビスは言った。

 

「…………」

 

 不意に、部屋のカーテンが揺れる。窓の隙間から覗いたのは“夜空”と、それを淡く照らす“月明かり”

 ベッドの縁に腰掛けていた人物は、シーツへと乗り上げ、天使の耳元へと口を寄せる。突然近づいた気配に驚いたらしく肩を跳ねさせた相手に、小さく笑みを浮かべて“青い髪をした悪魔”は囁いた。

 

「大丈夫。“僕”がキミを一人にしないよ」

 

 言い終わると同時に、相手の身体を自分の方へ向け、口付ける。そのまま唇を割り開き、舌を挿し込む。

 

「――――っ!?」

 

 上がった呻き声さえも呑み込むように、口内を侵し、暴れ出す身体をシーツへと押し倒す。

 

「……ん゛…ぅ……っ」

 

 男のものにしては若干華奢な掌が、こちらの胸を押し返そうとする。しかし、天使と“自分たち”では力の差は歴然だ。

 相手が抵抗している間にも、これ見よがしに絡むような水音を響かせる。逃げる舌を捕らえ、吸い、歯列をなぞり、蹂躙する。やがて、力も入らなくなったのか、天使の手が、襟元を弱々しく掴んだ。

 悪魔は笑みを浮かべ、ゆっくりと唇を離す。舌が細く透明な糸を引き、淫靡に煌めいた。ゆるゆると手を離し、天使は喘ぐように呼吸を整えようとする。

 

「はっ……ルク……一体、どういうつ――――」

「フフッ、残念、だったね」

 

 悪魔は包帯の下に指を差し込み、そのままずらし上げる。そしてその眼前まで顔を近づけてやる。

 

「いくら弱った視力でも、髪色くらいは判るでしょ?」

「…………っ!!」

 

 露わになった紫色の瞳が、瞬時に見開かれた。驚き、羞恥、絶望……様々な感情がそこには浮かんでいた。

 

「き、貴…様……っ、欺し―――」

「人聞きが悪いな。勝手に”友達”の声と勘違いしたのはそっちでしょ?」

「……っ」

 

 おかしい程に一瞬で真っ赤に染まった顔を見て笑い、悪魔は再び天使へと顔を寄せる。

 

「そんなに似てた? オレの声」

 

 抵抗のために伸ばされた手首を掴みシーツへ押しつけながら、囁く。

 

「“アビス”」

 

 吐息混じりの、優しい声で。

 

「……やめろ……」

「“キミが間違えるくらいだものね? アビス”」

「やめろ……!」

 

 悲痛な叫び声に、悪魔は遂に声を上げて笑う。

 

「ッハハハ! 何そんなに泣きそうな顔をしてるの? そんなにイヤ? オレがアイツの声で喋るのは」

 

 瞳を歪めて忌々しげに睨めつけてくる様に、悪魔――ストルナムは胸中に ふつふつと劣情がわき上がるのを感じていた。隠すことも無く向けられる怒りが心地良い。普段ライブで感じるようなそれとは違う、悪魔的な、倒錯した高揚感。天使を穢す快感。天使を堕とすこと。それは悪魔にとって、ただの甘美なお遊びだ。

 

「刻みつけてあげるよ。アイツの声でオレを思い出すように」

「……ゲス…が……」

「フフ、イイ顔だね。でも…おかしいな、そろそろ効いてくる頃だと思ってたんだけど」

 

 ストルナムは押さえつけていたアビスの手首を離し、さも不思議そうに独り言ちる。アビスはせめて起き上がろうと、ベッドのシーツへ手をついた。そして腕へと力を込める。……否、込めようとした。

 

「な……」

 

 身体が、言う事を聞かなかった。いつの間にか、全身に不快な痺れが走っていた。手をついたまま困惑した表情を浮かべている天使を見て、悪魔はにんまりと笑う。

 

「ああ、効いてきたんだ。“キミ達”って大変だよね。“オレ達”の唾液は身体に毒なんて。流石おキレイな天使サマだね」

「……っ」

 

 先ほどの行為が思い出され、アビスの顔が赤くなる。

 

「でも、安心したよ。実は天使じゃないなんて言われたら困るとこだったよ」

 

 ストルナムは再び覆い被さるようにして、天使の頬を撫でる。振り払おうと思っても叶わず、ぞわりとした感覚が襲ってくるのを、アビスはただ受け入れることしか出来なかった。

 

「意外とキミって自分に自信が無いんだね。さっき“これでも”天使なんて言っちゃってさ。でも安心して良いよ、キミはちゃんと天使なんだから」

 

 優しい声。ろくに目が見えていないせいで、頭を撫でる手が別人のものであると錯覚しそうになる。違う、これは彼じゃない。そう必死に言い聞かせるが、悪魔の毒は感覚さえも侵すのか、意思を保つことを妨げる。

 

「貴様…なん、のつもり…だ……」

 

 言葉さえもおぼつかない苛立ちを込めて天使は叫ぶ。悪魔は足掻く天使が“愛おしくて”仕方が無いとでもいうように笑み、流れるように言葉を紡ぐ。

 

「アビス…キミは天使だよ。いつでも生真面目で厳格で、頭が堅い。闇に愛されていながら、それでもなお吐き気がするほど気高く在る。それなのに天使である事に自信が持てないなら……」

 

 恍惚とした様子で語っていた悪魔の表情が止まる。そして、一変する。

 

「オレが、証明してあげるよ!」

「――――ッ!!」

 

 突然、アビスの左翼に激しい痛みが駆け抜けた。思わず喉から声にならない叫び声が上がる。ストルナムが、シーツに広がった白い羽に思い切り手をついたのだ。口元から微かに覗く牙が、これは事故ではないことを示している。

 

「オレがキミを堕としてあげるよ。堕ちるってことは、それはキミが正真正銘の天使だったって証拠になるんじゃない?」

 

 目を見開き爛々と牙を煌めかせ、悪魔は笑う。

 

「ふざけ…る、な…………」

「いいや、オレは本気だよ? だって……キミみたいな天使を堕とすことが出来たらきっと、とってもキモチイイからね……!」

「な………、…っ」

 

 ざわりと毛が逆立つような感覚が襲う。悪魔の指が羽根と羽根の間に潜り込み、それを弄んでいるようだった。

 

「天使を堕とすには、その清い魂を穢してしまえば良いらしいけど、男の天使はどうやって穢せば良いのかな。……女の子なら、カンタンなんだけどね」

「っ貴様……――ぁ゛ッ!」

 

 下卑た発言の意味を察して天使は激昂する。が、再び襲ってきた激痛に語尾は掠れた悲鳴になった。

 ミシミシと何かが軋む音と、ざわざわと何かが無理矢理潰されていくような音が響く。

 

「やっぱり、天使としての尊厳を徹底的にぶち壊すのが手っ取り早いのかな」

 

 翼越しにシーツを握りしめるかのように、悪魔は天使の羽を蹂躙する。一際強い力が込められ、冷めた部屋に何かが砕かれるような鈍い音が響き渡った。

 

「――ッ、あ゛あああああっ」

「フフ、なかなかいい”音”だね。イイ楽器になれるよ、キミ」

 

 冗談めかして言いながら、ストルナムは何度も何度も、位置を変え”シーツを握りしめる”。

 

「ぁ…っ……ぐ……っ」

 

 “音が鳴る”度に反射的に痙攣したように身体が跳ねる。面白がっているらしい悪魔の嗤い声が耳に障る。

 

「ハハ、なんだかヤられてるみたいだね。もしかして、本当に感じてたりする?」

「冗談じゃ――ッ……」

 

 見え透いた煽りに冷静に対応する気力などもう無かった。筆舌しがたい苦痛に意識が朦朧とし始める。

 

「“愛してるよ、アビス”」

「っ……―――あ゛っ」

 

 今度は右翼が軋む音を立てる。そして不意に再び視界が闇に包まれた。額まで上げられていた包帯が再び下ろされたのだと悟るのと、耳元に甘い吐息を感じたのは ほぼ同時だった。

 

「“愛してるよ”」

「…………ッ」

 

 優しい声と、翼の折れる音。言霊のように愛の言葉を囁きながら、悪魔は天使の翼を手折っていく。彼がその言葉を聞いたときに、今日の事を思い出すように。記憶に刻みつけていくように。

 

「“アビス”」

「――――ッ、や、め……」

 

 懇願の言葉を遮るように唇を塞ぐ。その間も翼への“愛撫”の手は休めずに。上がるくぐもった悲鳴を愉しむように、悪魔は碧色の目を細める。

 

「……っは……ぁ……っ」

 

 口を離し、呼吸をするタイミングで羽を責めれば吐息のような声が漏れる。

 

「やっぱり感じてるんだ?」

「ちが……ぁ……ッ」

 

 意地悪な問いに半ば叫ぶように返す。そうでもしないと、もう意識を保っていられそうもなかった。しかしその叫びさえも痛みに妨げられる。

 何も見えない中、相手が何をしてくるのか分からない。恐怖の様な感情が段々と身体を支配していく。がむしゃらに抵抗しようにも、“毒”のせいで叶わない。

 

「“愛してる”」

「………っ」

 

 “呪文”と共に、温い熱が首元に触れた。吸い付くような感覚に全身が粟立つような感覚に陥る。場所を変えて何度も、首筋に“呪い”を刻まれる。

 

「“愛してる”」

 

 もはやどこを折られているかも分からない激痛。

 

 意識が遠のく。

 自分は、堕ちるのか。

 この悪魔の手によって。

 彼を騙った悪魔の罠に嵌められて。

 自分が、不甲斐ない。

 抗いきれない自分の弱さが。

 愛していた相手の声も分からない自分の愚かさが。

 

 ああ、―――――

 

「…ルクス………」

「!」

 

 うわごとのように呟かれた名前に、悪魔は手を止める。

 

「……“なに? アビス”」

 

 少し顔を近づけると、震える指先が、メイクが描かれた頬に伸ばされる。微かに触れて、もう意識もままならない様子の天使は僅かに唇を開いた。

 

「…すま、な……い……」

 

 するりと指が落ちる。

 

「“アビス……?”」

 

 返事は無い。無残なまでに乱された翼に触れても、反応は無い。どうやら、気を失ったようだった。

 

「…………」

 

 悪魔は不意に気の抜けたように、上体を起こす。そして手持ちぶさたに白い羽根を2,3本折ってみせる。パキパキと軽い音が静寂に響く。

 

「……ああ、やっぱり音の鳴らない楽器はツマラナイね……」

 

 周りを見回し、シーツはおろか、床にまで散乱した羽根を眺め、視線を戻す。

 

「まだ終わってないよ」

 

 まだ、この天使は堕ちていない。天使の命とも言える翼を傷つける程度では、何か足りないらしい。

 

「やっぱり、大切な物を奪わないと駄目なのかな」

 

 清らかな魂を穢すには、その心の内に入り込まなければならないのかもしれない。ストルナムは面倒くさそうに息を吐く。

 

「はぁ、女の子じゃなきゃイマイチやる気が出ないけど……」

 

 天使を堕とす快感は、きっとその労力を掛ける価値もあるだろう。悪魔の口元に ちらと牙が覗く。

 

「……愛してるよ、アビス」

 

 静かに呟いて、もう一度、悪魔は天使に唇に口付ける。今度はそっと、軽く。

 

「“愛してる”。必ずキミを堕としてあげる」

 

 流れる長髪を一房手に取り、そこにも唇を触れる。

 

「おやすみ。“イイ夢”が見れると良いね」

 

 くすくすと嗤いながら、悪魔は姿を消した。

 

 カーテンが揺れる。隙間から微かな光が差し込む。

 “本物の”朝が訪れようとしていた。

 

 

†        †        †

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