神の声など聞こえない
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夜闇の中、静けさなど程遠い雷鳴が轟いていた。激しく風に吹かれた雨は強く建物の壁を打ち付ける。大きな稲妻が走り、閃光が人気(ひとけ)の無い薄暗い礼拝堂の中を照らし出した。
どこか寂れた教会の礼拝堂。扉の正面に設えられた祭壇には大きな十字架が飾られている。その後ろには荘厳なステンドグラス。一瞬の光によって浮かぶ十字架の影を全身に受け止めながら、祭壇の前に立つ者が居た。その人物の背には蝙蝠のような黒い翼。癖のある青髪の頂点には黒い角。恐ろしい程この場に不釣り合いなこの男は紛う事なき悪魔であった。
悪魔はじっくり観察するかのように、十字架の先端からゆっくり視線を落とす。そして、その根元に結ばれた青い布を視界に捉え、うっそりと笑った。
「やあ、気分はどう?」
呼びかけた先には、天使が居た。祭壇を背にして、床に膝をついた体勢で、長い紫色の髪をした天使は頭上に掲げられた手首を十字架に繋がれていた。その口元は紫色の布で塞がれている。
「――――……!」
こちらを鋭く睨み付けながら天使は呻く。逃げだそうと足掻いた所為だろう、本来なら綺麗に整えられているはずの、乱れた髪を直してやるように撫でながら、悪魔は瞳を細めた。
「あぁごめん、喋れないんだったね」
笑い声を口の中で転がしながら、男は猿轡――天使の身につけていたネクタイ――を外す。
「……っ、こんなことをして、許されるなと思うなよ悪魔……!」
それから、開口一番にそう叫んだ天使を見て、遂に堪えきれなくなったように声を上げて笑った。
「ッフフ、こんな状況でも、相変わらず威勢だけは良いんだね」
「……今すぐこれを解いて、ここから立ち去れ。ここは貴様のような者が居て良い場所じゃない。聞こえるだろう、神のお怒りの声が」
神の御使いは少し首を捻るようにして背後を示す。ステンドグラスから差し込む稲光は濃く十字架の陰を落とし、激しい雨音は段々と激しさを増している。まるで、神の意思を代弁しているかのように。しかし悪魔は、それをものともせず、なお あっけらかんと笑う。
「さあねぇ…、オレの耳には”楽しそうなライブの音”しか聞こえないなぁ」
激しい稲光のライト、雷鳴の如きドラム、叩きつけんばかりの雨音は大喝采の拍手を浴びた時のよう。”オレ達”にとってはこんな天気、歓喜こそすれ恐怖するなどあり得ない。
ああ、憎らしげにこちらを睨む哀れな天使。まだ自分の立場が分かっていないみたいだ。神のお膝元ならどんな状況でも自分が優位なことには変わりないと思っている。それが思い違いである事を、今から教えてあげよう。
「……神サマは今もオレ達を見ていてクダサッテいるんだよね?」
「……そうだ」
「そっか、なら都合がいいや」
「……? ――――っ」
うんうんと一人頷いて、悪魔はおもむろに片膝をついた。そして訝しげにこちらを睨む天使の顎に指をやり、顔を上向けさせ、その唇に軽く口付けた。ちゅっと小さく音を立てて離れる。呆然と目を丸くしている相手に向かって優しく微笑み、悪魔は薄く開いた口元から牙を煌めかせた。
「さあ、キミの大好きな神サマに、見せつけてあげよう」
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