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救済

※オリジナル要素強め

 救いが無い

†        †        †

 

 その身に宿る質は自分の手ではどうすることも出来ない。

 その質によってその使命が決められているのなら、それは運命と呼ぶしかないのだろうか。

 

 鼻に残る鉄の臭い。地面に転がった木偶人形と化した魔の者たち。脳裏にこびりついた凄惨な光景。あれを作り出したのは自分。その事実に目眩がする。 "特別授業"と称した殺戮行為。魔に対抗するには我々天使がその身に宿す光だけでは間に合わない。毒を以て毒を制するように、魔物には別の"魔"を以て対抗するために行われる『訓練』。別の"魔"……すなわち、闇を以て。

   綺麗事ばかりでは世界は回っていかないし、護れないものもある。それは分かっている。平穏の裏には得てして犠牲と言われるものは付き物であることも。それでも。

 

「穢れている…………」

 

 純潔な天使でありたかったはずのこの手は、既に赤く濡れている。

 

 

 

 "特別授業"が行われるのは夜だ。一般の生徒たちは寮に戻って、外に出ることは許されない時間。薄暗いレンガ造りの道を静かに駆ける。うっすらと照らす月明かりからも逃げ隠れるように。誰にも見られないように。こんな姿、誰にも――――

 

「アビス」

「――――!」

 

 心臓が音を立てて、止まった気がした。

 

 ああ……どうして…………よりにもよって、キミなんだ…………

 

 

 

「………………ルクス…………」

 

道端の木陰から姿を現すと、彼はこちらに背を向けたまま立ちすくんでいるようだった。激しく動き回った後かのように乱れている髪に、薄明かりの中でも分かる、所々色の変わった白いシャツ。ただならぬ事が起こっていたことは一目瞭然だった。

 

「…………こんな時間に一体何をしているんだ。夜間外出は規則で禁止されているはずだが」

 

彼はほんの僅かにだけこちらに目線をやり、肩越しに言った。堅く冷たい口調で、下手くそな誤魔化しをするように。

 

「……その言葉、そのままキミにお返しするよ。そんな乱れた格好で、一体、何をしてきたんだい?」

「…………………………」

 

  同じように淡々と返すと、彼は黙り込んだ。長い長い沈黙が落ちる。

  ……アビスの様子がおかしいことに気付いたのは最近の事だ。正確には様子というよりも、纏う雰囲気が。近付けば、微かに、漠然とした違和感を覚えたのだ。何故かは分からないが、心がざわつくような感覚。でも、言動は普段通りの彼そのものだったし、その違和感の正体は掴めずにいた。

 しかし今日、夜になって外へ出る彼に気付き、悪いとは思いつつも帰りを待たせてもらったのだ。おかげで漠然とした違和感が確信に変わった。……まさか、ここまで明らかに異常な何かが起こっているとは思わなかったけれど。

 

「…………言えない、と言ったら……?」

「……そうだね…、キミがどうしても話したくないというなら無理強いはしないけど……。とりあえず、傷の手当てだけはさせてくれないかな」

「………………」

 

 アビスは答えないまま、やがておもむろに寮の方へ歩き出した。無言は肯定と受け取り、後に続く。月が雲に隠され闇の落ちる中、二人分の静かな足音だけが響いた。

 

†        †        †

 

 二人並んでベッドに腰掛け、アビスはシャツの袖を捲り上げる。すらっとした腕にいくつも浮かぶ傷跡が見えて、思わず眉をひそめた。傷をよく見ようと、その腕に手を伸ばす。

 

「…………ッ」

「ごめん、痛む?」

「…………いや」

 

 そっと、今度は今以上に慎重に華奢な腕へ触れ、傷を確かめる。見たところ、一つ一つの傷は深くなさそうだ。この分なら、天使-僕ら-に備わる癒しの力でなんとかなりそう――……だけど。

 

「……アビス、キミにしては詰めが甘いよね。この程度の傷なら、戻ってくるまでに治すことだって出来たんじゃないのかい?」

 

 腕を握る手に知らず力が入る。アビスが小さく表情を歪めるのが見えた。

 

「そんなに余裕が無かった?」

 

 傷口に手を当て、少しずつ力を注いでいく。傷の割には苦しそうな顔をする。見た目より傷が深いのだろうか。……それとも。

 

「…………どうしても、話してくれる気にはならない?」

 

 傷を一つ癒す度に、言い知れない感情が沸き上がってくる。強いて言えば、怒りだろうか。どうして、彼がこんな目に遭わなければならないのか分からないし、こんな目に遭わせた奴等を、きっと僕は許せない。

 

「…………キミに話すようなことじゃない」

 

 こちらと目線をあわせないようにして、アビスは言った。どこか突き放すような物言いに、思わず、感情の矛先が少し彼の方を向いた。

 

「……僕って、そんなに信用ないんだ」

「違う、そういうわけじゃ……」

「違わないよ。こんな見るからにボロボロになって、自分ではどうにも出来なくなってるのに、それでも頼ろうとしてくれないなんて、キミは……」

「っ、違う! ……違うんだ、ルクス……、ボクは…………」

「なに?」

 

 どこか冷たく返すと、アビスはまた表情を歪めた。分かってる。本当は信用されていないわけではないということ。僕自身は彼を信用しているし、彼も僕のことを信用してくれているという確信はある。でも、このくらい強く言わないと、彼はこういう時 本心を隠す癖があるから。

 

「ボクは……キミに"こんなこと"を知ってもらいたくないんだ」

「どうして?」

「……キミには、"穢れ"を知らない天使のままでいてほしいから」

「………………」

 

 "穢れ"……大まかに言ってしまえば、僕ら天使の魂を侵すもの全ての事物のことだ。 それに触れ続ければ、侵され続ければ、僕らは"天使ではなくなってしまう"。何故なら、純潔たるべき天使には一点の"穢れ"もあってはならないのだから。赦されないのだから。

 しかし そんな言葉が今、彼の口から出てきたことに厭な予感が鎌首をもたげる。やはり聞くべきではないと、頭のどこかで警鐘が鳴る。近頃彼に感じていた違和感の正体を知ってはいけないと言いたげに。……けれど。

 

「……それでも、僕は知りたい」

 

 僕は知らなければならない。彼がどんな目に遭っているのかを。彼の身に何が起こっているのかを。

 

「………………」

「教えて……もらえない、かな」

 

 じっと目を見つめて言うと、アビスは苦しそうに息を吐いた。泣き出しそうなのを必死に堪えているような顔で。

 

「…………キミは、慈悲深いな」

 

 それから…どこか自嘲的にも見える笑みを浮かべて、観念したように、ぽつりと声をこぼした。

 

「………………?」

「いや……なんでもない。…………分かった。話そう。本当に聞いてくれる気があるなら……ボクは、キミにだけ、全てを」

 

 微かに、空気が変わった気がした。

 

「…………うん」

 

 きっと、これは最後の警告だったのだろう。或いは、彼のある種の懇願の言葉だったのかもしれない。

 アビスの表情が消える。全ての感情を絶ってしまったかのように。

 

「ボクは――――"特別授業"を受けている」

 

 ただ淡々と、在った事実のみを語り継ぐように彼は抑揚の無い声で語り始めた。

 闇の要素を色濃くその身に宿す天使のみに課せられる"特別授業"。天界に仇なす魔物たちをほふる為の"訓練"。訓練と銘打ってはいるものの、それはただの実戦としか思えなかった。響く怒声、耳をつんざくような悲鳴、撒き散らされる血の臭い、書籍の中でしか見たことの無いような言葉の羅列は実際に彼が目にした凄惨な光景だという。

 ……正直、フィクションか何かの話だと思いたかった。こんなこと、作り話であってほしかった。隣で睫毛を伏せて語る彼がそんな殺伐とした現場に居たことなど信じられなかった。否、信じたくはなかった。けれど、彼の性格からして そんなことはあり得ないし、肌に残る傷跡が何よりの証拠でもあった。

 

「……ルクス…キミ、泣いているのか……?」

 

 ぽつぽつと語り続けていたアビスが不意に驚いた声を上げた。気付けば、いつの間にか自分の頬が僅かに濡れていた。

 

「…………ごめん」

 

 涙を拭う僕を見て、アビスが小さく息を吐く。もしかしたら、呆れたのかもしれない。自分とはまるで縁の無い話を聞いて同情するだけの偽善者だと。でも、違う。同情なんかでは……ない。僕は、無意識の内に悟り始めていたんだ。

 彼に覚えていた違和感。その正体を。

 

「…………アビス」

 

 心配そうな表情で僕を見る彼の頬にそっと手を当てる。すると彼は僅かに痛みに耐えるかのように顔を歪めた。……傷の治療をしていた時と同じ顔だ。

 

 ―――――――"魔の者"が、聖なる光に触れた時と同じ顔だ。

 

「……………………」

 

 ああ どうして……。どうして、こんな。溢れそうになる言葉を堪えるように唇を噛みしめる。もっと、もっと早く気付いておくべきだった。学園を敵に回してもずっと傍に居るべきだった。きっと……生真面目な、哀れなほどに生真面目な彼は、"授業"を、与えられた"仕事"を真剣にこなしたのだろう。それだけ魔の侵食が早まることを知らないで。或いは、知っていても抗うことは許されなかったのか。その場にいなかった僕にはわからない。けれど、一度穢された無垢な魂は二度と元の状態には戻れない、この事だけは確実だった。

 アビス。闇に愛されてしまった、ただそれだけでこんなにも理不尽な運命を負わされた哀れな天使。誰よりも純潔でありたかったであろう天使に、運命は…神は……なんて残酷なことだろう。

 この事が学園にバレたら彼はどうなるのだろうか。生徒にこんな惨いことをさせるような学園だ。良い結果になるとは到底思えない。僕はこのまま…闇に呑まれていく彼を知らないままで終わってしまうのだろうか。…………ああ、それならば、いっそ。

 

 

 

「ルクス……」

 

 何も言わずにはらはらと頬を濡らす彼を見て"気付かれた"ことを悟る。やはり、彼には敵わない。元より、誤魔化すことが苦手な自分に彼を欺くことなど出来るとは思っていなかったが。だからこそ、全てを話すことを決めたのだ。自分でも、もうあまり時間は残っていないことには薄々気付いていた。今はまだ、直接触れない限りは光に"苦しめられる"こともない。けれど、このまま時が経てば、ボクはきっと、"ボクではなくなってしまう"のだろう。それだけは、嫌だ。死んでも、嫌だった。

 けれど、心ではそう思っていても、もうこの運命からは逃げられないのだろう。それなら、何も言わないまま消えなければならないのなら、その前に話しておこうと決めた。彼が、聞いてくれると言ったから。……少しでもキミの心に残れるように。

 ああ、なんて自分勝手だろう。こんな自分のために泣いてくれる優しい天使。光に愛された、自分とは正反対の美しい天使。そんなキミの心に陰を落としていくことを赦してほしい。

 

「すまない」「ごめん」

 

 零れた言葉に同義の言葉が重なって、顔を上げる。そうした瞬間にはもう、身体が抱き締められていて、思わず呼吸が止まった。反射的におののくように、翼がざわりと音を立てた。同時にじわりと身体が熱を帯びる。内側から沸き上がるそれではない、表面から優しく、けれど確実にこの身を焦がさんとする熱だ。

 

「ルク…………」

「つらかったね」

 

 子供をあやす時のように、しなやかな指が優しく背中を叩く。

 

「ごめんね、気付けなくて」

 

 優しい声は、震えていた。…………自分は、つらかったのだろうか。嫌だ嫌だとは思いつつも、もはやそれは自分に課された使命なのだと、逃れられない運命なのだと、心のどこかでは"諦めて"しまっていた。だから、「つらい」などと思うことは無かった……はずだった。けれどボクは、自分の感情にも気付けないほどに……"壊れて"しまっていた……だけだったのだろうか。

 

「…………っ……」

 

 自覚した瞬間、胸が強く締め付けられるような感覚に陥った。体の奥に沈殿していたものが一気に込み上げてくるような、そんな感覚。ぐるぐると、あの現実離れした惨状がフラッシュバックする。視界が滲む。思わず自分を抱き締めている相手の肩口に顔を埋めた。背が優しく叩かれる。堰を切ったように溢れだした涙が相手のシャツを湿らせるのが分かっても、顔を上げることが出来なかった。

 

「ボク……は……っ」

 

 嗚咽に混じって、もはや留めておくことの出来ない言葉さえも溢れ出す。

 

「ボクは……堕ちたく…ない…………っ」

 

 嫌だ。天使でなくなるなら……魔物になり果てるくらいなら、いっそ――――

 

「………………」

 

 耳元で、ルクスが息を呑んだ気配がした。それから……背中に回された手に、少し力が込められた。熱い。けれど、今やこの熱さえも……愛おしい。

 

「――――アビス、僕も、キミには天使のままで居てほしい」

 

 ボクの髪を撫で、囁く。ボクに向けていっているというよりも、誰にともなく、或いは自分自身に語りかけるように。

 

「キミは、永遠に気高い天使であるべきなんだ。そう、永遠に――――最期まで」

 

 じわりと、背が一際強い熱を帯びる。抱き締められているせいで、表情は見えない。はずなのに、何故だか、彼が穏やかな、慈しむような笑みを浮かべているような気がした。翼が、焼ける。錯覚か現実か、もう自分には分からない。段々と身体から力が抜け、体重を全て相手に預ける形になる。

 

「…………ごめんね」

 

 また少し強くボクを抱き締めながら、ルクスは呟く。

 

「これは……僕のエゴかもしれない」

 

 ルクス、それは違う。

 

 ――――ボク自身も……それを望んでいる。

 しかし浮かんだ言葉はもはや声にはならない。視界がぼやける。意識が、遠くなる。思うように呼吸も出来ず、喉が掠れた音を漏らす。それでもどうにか、僅かな力を振り絞って、相手の腕へ手をかけた。それに気付いてくれた彼が、少しだけ身体を離す。霧がかる視界の中、辛うじて目に映ったのは、常に笑みの浮かべているはずの顔が、どこか泣きそうな色を浮かべているところだった。

 口を開く。一言だけ、あと一言だけ言えれば良い。彼のために、一言だけ。

 

「……――――ありがとう」

 

 ルクス。ボクの愛しい天使。

 キミに"終わらせて"もらえるなら、ボクは"幸せ"だ。

 

「…………ッ……」

 

 もう一度、強く、強く身体が抱き締められた。それから僅かに上向けられた唇に何か触れる。同時に身体の内側からも焼かれるように熱が広がる感覚。神経が焼き切られ、呼吸も途切れていく。だがこの痛みも、苦しみも、全てはこの穢れた身体への救済だ。

――――嗚呼、ルクス。

 

 

「―――――――――」

 

 

キミは本当に、慈悲深い

​†

†        †        †

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